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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)2618号 判決 1972年9月21日

昭和四五年(ネ)第二六一八号事件控訴人

同年(ネ)第二四九八号事件被控訴人(一審原告) 吉沢丈夫<ほか一名>

右両者訴訟代理人弁護士 坂根徳博

昭和四五年(ネ)第二六一八号事件被控訴人

同年(ネ)第二四九八号事件控訴人(一審被告) 斉藤信之

昭和四五年(ネ)第二四九八号事件控訴人(一審被告) 大東京火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 秋田金一

右両名訴訟代理人弁護士 日野和昌

同 安田昌資

同 島林樹

主文

一、第一審原告両名の本件各控訴につき、原判決中第一審原告らの第一審被告斉藤信之に対する請求に関する部分を次のとおりに変更する。

1  第一審被告斉藤信之は、第一審原告両名に対しそれぞれ金四〇九万円および内金三六九万円に対する昭和四三年四月一日以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  第一審原告両名の第一審被告斉藤信之に対するその余の請求を棄却する。

二、第一審被告会社の控訴につき、

原判決主文第二項を取消す。

第一審原告両名の第一審被告会社に対する請求をいずれも棄却する。

三、第一審被告斉藤信之の本件控訴を棄却する。

四、訴訟費用は、第一・二審を通じて、そのうち第一審原告らと第一審被告会社との間に生じたものはすべて第一審原告らの負担とし、その余はこれを二分し、その一を第一審原告らの、その余を第一審被告斉藤信之の各負担とする。

五、この判決の第一項1は、仮りに執行することができる。

事実

第一、一審原告ら訴訟代理人は「1、原判決中一審原告らの一審被告斉藤に対する請求に関する部分を次のとおりに変更する。一審被告斉藤は一審原告らに対し、それぞれ金七五六万円およびうち金七一一万円に対する昭和四三年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。2、一審被告らの本件各控訴を棄却する。」との判決および右金員請求部分について仮執行の宣言を求め、一審被告ら訴訟代理人は、「1、一審原告らの一審被告斉藤に対する本件控訴を棄却する。2、原判決中一審被告らの敗訴部分を取消す。一審原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも一審原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、当事者双方の事実上、法律上の陳述(一審原告らの訴訟代理人の陳述)

一、本件事故の発生および一審原告らの責任原因に関する事実関係は、原判決記載の請求原因第一、二項)のとおりである。

二、損害

(一)  亡敏夫は、昭和一一年四月二三日生れの男子で、昭和三五年三月東京大学法学部を卒業し、同年四月株式会社三井銀行に入社し、事故当時勤続七年に達し、同銀行の書記一級の資格をもち京橋支店の貸付係として勤務していた。

(二)  逸失利益

本件事故による損害のうち得べかりし収入損の金額の計算は、事実審口頭弁論終結時の賃金事情によって将来の収入を予測するのが正しいと考えるので、原審当時とは異なった新しい基準年度によって主張する。その結果本件の請求金額は次のような計算となる。

(1) (亡吉沢敏夫の三井銀行における月給と賞与一九一四万円)

亡敏夫は事故によって死亡しなければ、事故の翌月である昭和四二年八月一日から停年の五五歳になる直前の昭和六六年三月三一日に至るまで二三年八ヶ月間株式会社三井銀行に雇われて働き、月給と賞与の収入がある筈であった。けれども事故によって死亡したため、これらの収入を失った。この間の収入について、生活費を各年度ごとに収入の二分の一として差引き損益相殺したうえ、年五分の割合による中間利息を控除した昭和四三年三月三一日現在の現価を算出すると各年度収入損残額の現価合計は一九一四万円であって、その詳細は末尾添付の別表(一)のとおりである。

(2) (停年後の月給と賞与一九〇万円)

亡敏夫は、三井銀行の停年直前の昭和六六年四月一日から六〇歳になる直前の昭和七一年三月三一日までの五年間、停年までは三井銀行に、停年後は同銀行のあっせんするほかの事業所に雇われて働き、毎年度三井銀行停年退職時の収入(別表(一)の⑪最終段参照)に対し二分の一にあたる年間一七六万円(一万円未満切捨)の収入がある筈であった。しかし死亡のため、これらの収入を失った。そこで右年収に対し二分の一の生活費を損益相殺し、複式(年別)ホフマン式計算により昭和四三年三月三一日の現価を算出すると、各年度収入損残額の現価合計額は別紙計算式③のとおり一九〇万円(一万円未満切捨)となる。

(3) (三井銀行における退職慰労「一時金」、三五四万円)

亡敏夫は、五五歳になる昭和六六年四月二三日、三井銀行を停年退職し、一時金基準額四八二万円、一時金特別加給額二四一万円、停年加給額一六〇万円、合計八八三万円の退職慰労「一時金」の収入がある筈であった。よってこれより年五分の割合による中間利息を控除し、昭和四三年三月三一日の現価を算出すると、別紙計算式①のとおり四〇一万円(一万円未満切捨)になるが、このうち四七万円については、死亡によって支払がなされたのでこれを差引き、残り現在額は三五四万円である。

(4) (三井銀行における退職慰労「年金」、一三二万円)

亡敏夫は、五五歳になる昭和六六年四月二三日、三井銀行を停年退職し、年金基準額三六万五〇〇〇円と年金特別加給額九万一〇〇〇円合計四五万六〇〇〇円の年金を停年退職後一五年間にわたって受給する筈であった。そこで右年収に対し、前同様二分の一の生活費を損益相殺し、昭和四三年三月三一日の現価を算出すると、退職慰労年金の各年度収入損残額の現価合計は、別紙計算式②のとおり一三二万円を下らない。

(5) (逸失給与の現価計算方式に関する意見)

現価算出方法につき、ライプニッツ式算出方法を用いるべきではない。これは収入損全期間にわたり、被害者又は遺族が賠償金を預金し、一年ごとに預金の利息を元金に繰り入れてゆくことを前提にした算出方法であるが、この方法は大きな欠点を持つ。すなわち、第一に、将来の収入損期間に見合う二〇年とか三〇年の長期にわたり、金銭のままで預金してゆくような者は絶無であるといってもよい。賠償金の授受から遠からずして、金銭を他の物に換えているのが実情である。第二に、かりに預金を続け利息を元金に繰り入れていったにしても、年々の物価上昇と、それに伴う貨幣価値の下落のため、単利はもとより、複利でも、元金自体の実質価値を維持してゆくことができないのが現状である。ライプニッツ式のように、長期の預金を前提とするのであれば、反対に、貨幣価値の下落分の方こそ手当てして行かなければならない道理である。ライプニッツ式を取り上げて問題にすることができるのは、最少限、物価上昇が続かないという環境が現出してからのことにしなければならない。

(三)  (亡敏夫本人の慰藉料二〇〇万円)

亡敏夫本人の慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(四)  (父母の慰藉料各一五〇万円)

一審原告ら(敏夫の父母)に対する慰藉料は各一五〇万円が相当である。

(五)  (葬儀費用、父母各一五万円)

一審原告らは、亡敏夫の葬儀費用として、昭和四二年七月末日までに金四四万円を支出した。そのうち本件事故と相当因果関係にあるものとして、一審原告らは各一五万円計三〇万円を請求する。

(六)  (死者本人の損害について配分、父母各一三九五万円)

前記(二)の(1)ないし(4)の収入損および(三)の慰藉料合計二七九〇万円は、一審原告らが亡敏夫の父母として各二分の一の割合で承継する。一人当り一三九五万円となる。

(七)  (損害額の過失割合による配分、父母各九三六万円)

事故の発生に対する過失は、加害者側六割、被害者側四割と見るべきである。すなわち、敏夫は事故発生時において北から二本目のレール(四谷見付方面行電車の右側のレール)を跨いで佇立していたのであって、その際後退した事実はない。そして加害車は、このレールを跨いで走行して来てそのまま直進し、右側前照灯の部位を敏夫に衝突させたのである。敏夫がその際後退したことのない事実は、≪証拠省略≫によって明らかであって、敏夫がその際後退したかのようにいう甲第一号証中の斉藤信之、古沢秀俊の各説明、甲第五、第七号証の古沢秀俊、小塙惇の各供述、原審証人古沢秀俊、原審における斉藤信之本人の各供述は、いずれも当事者であるか、もしくはあいまいな点があって、採用に値するものではない。また、加害車(古沢の運転していた車)が北から二本目のレールを跨いで走行していたことは、≪証拠省略≫によって明らかであって、この点に関する甲第一号証中の古沢秀俊および斉藤信之の各説明、甲第五号証中の供述部分は採用すべきでない。以上の二点に関する原判決の判断は誤りである。そして、すべての通行車は十分手前から敏夫を認めて、無事に通過していったのである。これに対し、加害車の古沢は、前方注視を衝突直前まで怠っていたのである。場所は、夜遅くまでにぎわっている新宿の繁華街の道路である。元は横断歩道のあった交差点である。住所や勤務先からいって、敏夫が横断禁止を知っていたことを認めるに足る証拠はない。夜間であり、道路標識が離れており、予告はなかった。昭和四二年当時として、まだ横断禁止が一般化しておらず、ガードレールの設備があっても横断禁止のない道路が多くあった時期のことである。敏夫はガードレールを乗り越えていったのではない。交差点の出口であり、ガードレールのない場所から横断に入っている。しかも、車のとぎれを見て横断を始めたが、対岸側の通行車の接近が予測どおりではなかったため、中央付近で立ち止まってやりすごす関係になっただけである。そして、車の通過直前直後の行動ではない。以上を勘案すると、敏夫の過失は四、古沢の過失は六の割合と評価するのが相当である。

従って、一審原告らは、それぞれ前記(四)ないし(六)の合計一五六〇万円の六割の九三六万円の賠償請求権を有する。

(八)  (弁済受領・一審原告ら各二二五万円)

一審原告らは、加害車を含む関係車三輛のそれぞれから強制保険金一五〇万円づつ計四五〇万円を二分の一の割合で受領し、前記列挙の損害順に充当した。一人当り二二五万円。

(九)  (一審弁護士費用父母各三〇万円)

一審原告らは弁護士坂根徳博に対し、一審被告らを相手として本訴提起を委任し、東京弁護士会弁護士報酬規定に基づいた報酬を支払う旨約した。その結果一審判決言渡の日一審原告らは同弁護士に対し各自三〇万円の報酬を支払う義務を負担した。

(十)  (当審の弁護士費用、父母各一五万円)

一審原告らは当審の訴訟追行も坂根弁護士に委任し、依頼の目的を達した日に、東京弁護士会弁護士報酬規定に従った報酬を支払う旨約した。このため一審原告らは同弁護士に対し当審判決言渡の日、更に各一五万円を下らない報酬を支払う義務を負担している。

(十一)  (請求額一審原告各自七五六万円)

一審原告らは、各自、自賠法三条に基づき、一審被告斉藤に対し、前記(七)の金額九三六万円から(八)の金額二二五万円を差引き、これに(九)および(十)の金額を加えた七五六万円およびこれより弁護士費用を除いた残額七一一万円については、事故発生後である昭和四三年四月一日から支払ずみに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三、かりに、本件一審被告会社に対する代位請求につき、債務者である一審被告斉藤の無資力を必要とするとしても、一審被告斉藤は本件損害賠償債務を完済する資力がない。

この点に関する後記一審被告会社の主張事実は否認する。

(一審被告らの陳述)

一、一審被告ら訴訟代理人の陳述

(一)  原判決記載請求原因第一項および第二項(一)の事実ならびに同第二項(二)の事実中、一審被告会社が、一審被告斉藤との間に、加害車につき同被告を被保険者とし、保険金額を五〇〇万円とする自動車対人賠償責任保険契約を締結した事実は認める。

(二)  損害に関する一審原告らの前記主張事実中、亡敏夫にも過失があったこと、一審原告らが亡敏夫の両親でその相続人であること、および(八)の事実はいずれも認めるが、その余の事実は知らない。なお、弁護士費用の請求について、原判決八枚目裏六行より一〇行までの記載のとおり主張する。

(三)  過失相殺について、原判決事実摘示第四第二項のとおり主張する。

(四)  逸失給与の計算方式について

本件の如く逸失利益に昇給を認める場合には、ホフマン方式計算方法ではなく、ライプニッツ法によるべきである。殊に本件のように年数が長いときにホフマン方式によると特に不合理となる。本件の場合、ホフマン方式によるとすれば、第一審判決別表(二)による三井銀行在職中の逸失給与の現価は一六四二万円であり、退職後の再就職による五年間の逸失給与の現価は一六六万四〇〇〇円であることから、逸失給与の合計現価は一八〇八万四〇〇〇円となり、その利息を年五分とし、一審判決別表(二)中の年収欄から生活費五〇パーセントを控除した額に右元金および利息を充当してゆくと別表(三)のとおりとなる。この別表からいえることは、右元金一八〇八万四〇〇〇円から生ずる利息は当初は亡敏夫の年収を超え、昭和五一年になってはじめて利息が年収を下回るが、亡敏夫が職を失うであろう昭和七一年末において、なお元金一〇三三万円が残ることになる。その後の同人の年収は、退職したのであるから、本来ならば零になるべきなのに、退職後も一〇三三万円の年五分すなわち五一万六〇〇〇円の給与を死亡まで受けつづけ、なおかつ一〇三三万円の元金が残ることになる。このようにホフマン方式によると不合理は明瞭である。尤も過失相殺が認められる場合には、表面上は不合理性が隠されることにもなるであろうが、さりとて過失相殺の場合にはホフマン方式、無過失の場合にはライプニッツ方式によるというのでは、前者が後者より高額となる場合があり、公平の原則に反する。

なお参考のため、一審判決の認めた逸失利益をライプニッツ方式によって計算すると別表(四)のとおりである。

(五)  亡敏夫の過失について

本件事故当時における亡敏夫の佇立位置、後退の有無、加害車(古沢車)の進路については、まず証言以外の客観的事実を検討し、これと各証人の証言とを比較して証言の信憑性を問題とすべきである。

(1) 客観的事実から見ると、横断禁止場所であること、道路両側にはガードレールが設置されていること、午後一〇時を過ぎると車道側の街灯が消え、人通りは殆んどないこと(一審原告は夜遅くまでこの表通りが賑わっているというが全く事実に基づかない主張である)、古沢車の車幅が一・五六米、都電軌道幅が一・四四米、道路端からレールまでが約五米であること、敏夫は古沢車の右端に接触し、最後に倒れていた位置は軌道中央であること等である。

(2) ガードレールがあり、歩車道の区別があり、車輛交通のはげしい横断禁止場所を午後一〇時過、近くに横断歩道があるにもかかわらず横断しようとしたことだけで、亡敏夫の過失は八〇パーセントを下ることはない。

(3) 一審原告は亡敏夫は北から二本目のレール上に佇立し、古沢車は二本目のレールをまたいで進行してきたと主張する。そうだとすれば古沢車の接触部分はもっと中央部となるわけで、一審原告の主張は客観的事実に反することが明らかである。また、敏夫が後退もせずに二本目のレール上に佇立していたとするならば、古沢車は両車輪ともレール上になければならないことになる。すなわち、古沢車の接触部位がその右端であるので、その下に車輪があり、右車輪はレール上となり、車幅とレール幅とがやや等しいことから左車輪もレール上にあったことになる。

しかし、夜間しかも雨上りの場合に自動車がレール上を走ることは非常にすべり易く、危険だから、そのようなことは考えられない。

そしてレール上に車輪があったことについては証拠がない。

そうだとすれば、古沢車はレール上を走ってはおらず、どちらかのレールをまたいで走っていたことになる。そして、亡敏夫との接触部位からすれば、二本目のレールをまたいで走っていたと考えられず、一本目のレールをまたいでいたと考えるほかはない。このことは、二本目のレールをまたいで走っていたとしたら、最後に敏夫が倒れていたのは軌道中央であったから、古沢車は再接触したか、少くとも敏夫の血を浴びている筈であるが、それが全然ないことから明らかである。事故直後作成の実況見分調書(甲第一号証)添付図面第二には、古沢車が路端から四・七五米のところを走っていたと記載されているが、これは警察官が古沢車に同乗して事故当時の走行状態を再現したもので正しいというべきである。

(4) 敏夫の後退の有無、古沢車の速度について一審原告は証人佐藤昇の証言および供述調書を重視しているようであるが、佐藤昇の警察官に対する供述調書(甲第一六号証)中で同人は車が三列となって走っていたといい(事実は二列)また、二列に並び先行車もある状態では古沢車だけが早く走れる筈がないのに、古沢車が追越しをしたといっていること、更には、古沢車が他車よりも中央よりを走っていた(他のすべての証言に反する)といっていることなどこの証人の供述は信用できない。さらに佐藤証言および甲第一六号証の添付図面からすると古沢車の中央に敏夫が接触したこととなり、これは事実に反する。また甲第二六号証写真⑥⑦よりすれば車中にいた佐藤の視点は低かったと思われるし、しかも先頭車から二、三台後を走っていた古沢車を正確に見ることができるわけがない。敏夫の位置についても右⑥⑦の写真でさえレールがはっきりしないのに、夜間で、もっと視点の低いところから見た場合正確にその位置を確認できないことは明らかで、同人の証言はいずれにしても信用できない。

(5) また、伊原孝夫については、同人は最初敏夫を発見してから衝突まで四米前進しただけである。四米といえば、時間にして時速四〇キロとして三分の一秒であり、発見してから衝突までの時間はきわめて短かいのであるから、同人の供述は正確とはいえない。

二、一審被告会社の訴訟代理人の陳述

原判決事実摘示中の第五記載のとおり陳述したほか、次のとおり陳述した。

一審被告斉藤は、数人の従業員を雇い、荒川区南千住八丁目でハム・ソーセージの原料加工を行ない、年間売上高は三〇〇〇万円を超え、現金預金等六〇八万円、冷蔵庫、機械等五〇〇万円相当のほか自動車も所有し、現住所荒川区南千住六丁目一七九番地所在の土地建物も伯父多川寅雄の所有名義になっているが、一審被告斉藤が多川の競落代金を支払って、いつでも自己の名義にできる状態にあり、また、本件控訴の際、強制執行停止のため、東京法務局に三〇〇万円を供託しており、無資力ではない。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、一審原告らの一審被告会社に対する請求について。

一審被告会社が一審被告斉藤との間に、加害車につき同被告を被保険者として保険金額を五〇〇万円とする、保険期間内に本件事故発生の日を含む自動車対人賠償責任保険契約を締結していた事実は当事者間に争いがない。

ところで、債権者代位権の行使については、(イ)債権者の債権を保全するために必要なこと、すなわち金銭債権の場合は、債務者が無資力であること(ロ)債務者がみずからその権利を行使しないこと(ハ)債権が履行期にあること、との三要件の具備を要するところ、本件のような場合、すなわち、自動車事故の被害者が加害者(加害車の運行供用者)に対し事故による損害の賠償を訴求し、この訴に併合して加害者の保険会社に対する保険金請求権を代位行使する場合においても、右の三要件を緩和してその行使を許すべきものとする特段の理由を見出すことができない。本件において、右(ハ)の要件については、不法行為による損害賠償請求権は、その発生と同時に履行期にあるから、一応この要件を具備しているとみることができるが、(ロ)の要件については、債務者がその権利を行使しない、というのは、債務者がその権利を行使しうるにかかわらず行使しないときの意と解すべきところ、一審原告らの一審被告斉藤に対する損害賠償額が右当事者間の本件訴訟の確定をまってはじめて確定されるため、それ以前には一審被告斎藤は一審被告会社に対し保険金請求権の行使をすることが事実上困難な状態にあるから、一審被告斉藤が一審被告会社に対していまだ右保険金請求権の行使をしていないからといって、(ロ)の要件を具備したものということはできない。のみならず、(イ)については、≪証拠省略≫によれば、一審被告斉藤は、従業員数人を使用して油脂業を営み、昭和四五年度は一三〇余万円、昭和四六年度は一六〇余万円の各純益をあげ、資産は昭和四六年末現在において現金預金売掛金等六〇八万円余相当を有し、これに対し負債は支払手形、買掛金等合計一二〇数万円であること、同人は本件控訴に際し三〇〇万円を強制執行停止の保証金として東京法務局に供託していることが認められるから、後記認定の損害賠償額の支払について、とうてい無資力ということはできず、従って代位請求の必要性を欠くものといわなければならない。してみれば一審原告らの一審被告会社に対する保険金の代位請求は、その余の判断をまつまでもなく理由のないことが明らかである。

二、一審原告らの一審被告斉藤に対する請求について。

(一)  原判決記載の請求原因第一項および第二項の(一)の事実は当事者間に争いがないので、一審被告斉藤は加害車の運行供用者として本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。

(二)  過失相殺

1  本件事故の態様について、次に記載するほか、原判決の二〇枚目裏四行から二三枚目表四行までのうち、同二二枚目表七行から九行までの「外側のレール(一番北側のレール)をまたぎかつ車体の半分以上がそのレールを右側(南方)に超えた状態」での部分、および同二二枚目裏六行から八行までの「折から西進車の接近に気をとられたためか、心持ち外側レール寄り(加害車進路寄り)に後退した」の部分をのぞいたその余の記載をここに引用する。

その際、加害車が北側から一本目のレール(四谷見付方面行き電車の左側レール)をまたいで走行したか、それとも同二本目のレール(同右側レール)をまたいで走行したかの点および被害者が衝突直前に後退した(加害車の進路上に寄った)か否か、の二点については、証拠が分れている。すなわち、前者については、一本目のレールをまたいで走行したとするものに、≪証拠省略≫があり、≪証拠省略≫も加害車が一本目のレールをまたいで走行していたことを前提としているように見え、二本目のレールをまたいで走行していたとするものに、≪証拠省略≫があり、後者については、後退したとするものに、≪証拠省略≫があり、後退しなかったとするものに、≪証拠省略≫がある。夜間、車の往来のはげしい路上に於いて生じた一瞬の出来事であるから、各人の見たところにくいちがいがあり、同一人の供述でも前後にくいちがいがあるのは当然であり、当裁判所も右の二点のそれぞれについて、そのいずれと認定すべき心証を得ることができない。いわば最大公約数として、以上の各証拠を綜合して、加害車は、その右車輪が北から二本目のレール附近を通る位置で走行し、同レール附近に立っていた被害者に、車体の右前部を衝突せしめた、と認定するほかはない。

2  右認定の事実に基づいて判断するに、訴外古沢は、先行車が道路上に人又は障碍物等を発見して急に進路を変更したり、急停車したりした場合には、自車もこれに応じて同様の措置をとり、これによって生じうる危険を避けることができるだけの車間距離と安全速度とを保ちながら、前方の注視を怠らずに進行すべき注意義務があるのに、本件事故現場が比較的自動車の交通量の多い地点であるため、横断する歩行者などはいないものと信じ込み、車間距離を保たず、また前方注視も十分に尽すことなく漫然と進行した過失がある。事故直前における先行車および斉藤信之の行動に照らすと、古沢は車間距離を十分にとり前方注視を怠らなければ、事故の発生を防止しえたと思われる。

一方、亡敏夫も、交通量の多い道路上でしかも横断禁止の箇所をあえて横断しようとし、その結果、一度で渡り切ることができず、道路の中央に立往生するに至り、かつ、加害車側の車線寄りに位置しながら反対方向の車線の車輛ばかりに気をとられ、加害車側の車線の自動車の運行を全く注視しなかった点において重大な過失がある。

双方の過失の重さを対比するとその割合は、訴外古沢の四に対し、亡敏夫の六と評価するのが、相当である。一審原告らは、この点について敏夫が事故直前に後退した事実のないことを強調し、その事実が認められないことは前記のとおりである。しかし、前記のような状況の道路を進行する車輛は、その道路の中央に人が立っているなどと予測しえないのが通常であるから、被害者の吉沢敏夫がその際後退しなかったとしても、その過失は重大で、古沢に対し右以上の過失の責を負わせるのは相当でない。

(三)  損害について、

(イ)  葬儀費用について

≪証拠省略≫によると、一審原告らは亡敏夫の葬儀費用として計四四万円を支出した事実が認められるので、その内計三〇万円について本件事故と相当因果関係のある損害と主張する一審原告らの主張は相当である。

(ロ)  逸失利益について(第一二回生命表によると、三一才男子の平均余命は三九・九七年である)

(1) 三井銀行における逸失利益

≪証拠省略≫によれば、亡敏夫は昭和一一年四月二三日生れで、昭和三五年三月二八日東京大学法学部を卒業し、同年四月一日株式会社三井銀行に入社し、昭和四二年七月の本件事故当時は、事務行員として同銀行の京橋支店に勤務し、同期入社行員のうち平均をはるかに上わまわる成績をあげて勤続七年を経過し八年目に入っていたこと、同銀行の停年は満五五才と定められていること、(a)同銀行の俸給については、基本給と称し、各資格者(三井銀行においては、下位から順に書記四級ないし一級、調査役、副参事、参事、理事の格付がある)について、四月一日にはじまり、翌年三月三一日に終る年度毎の給与の定めがあり、毎年定期昇給とベースアップによる増額がある、亡敏夫の死亡当時の基本給は、書記一級(書記の最上級)の月額四万八五〇〇円であったが、これについては事故直後に昭和四二年四月にさかのぼって四五〇〇円のベースアップが行なわれたこと、その後の同人の基本給は、同人が生存して勤務していると仮定すれば、定期昇給、ベースアップをあわせて昭和四三年度は六万〇三〇〇円、昭和四四年度は七万二七〇〇円、昭和四五年度は八万二五〇〇円、昭和四六年度は九万四三〇〇円と算定されること、昭和四七年度以降についてはベースアップ額が不確定なため、前年度の基本給に定期昇給のみを加算したものとすると、定期昇給については、亡敏夫が生存していたとすれば、最も控え目に見ても、昭和四四年には調査役、昭和五一年には副参事、昭和五七年には参事と順次昇格するであろうと考えられるので、このような前提で三井銀行の定める昭和四六年四月の「基本給定期昇給テーブル」を適用すると、昇給額は、少なくとも昭和五一年度までは毎年二八〇〇円、昭和五二年度以降は毎年三八〇〇円、昭和五八年度以降は毎年三〇〇〇円となることは確実と認められるので、この計算によると、敏夫の昭和四七年度以降の基本給は、別表(一)の⑧欄に記載のとおりとなること、(b)次に三井銀行における俸給の構成は、右の基本給のほかに時間外勤務手当(調査役以上は職務手当)を受けることとなっており、亡敏夫は本件事故当時は一ヶ月平均一万一八〇〇円の時間外勤務手当を受けており、敏夫が生存していたとすれば、最低に見積っても、月額にして昭和四四年度には調査役として一万五五〇〇円、昭和四五年度には一万七五〇〇円、昭和四六年度以降は二万〇五〇〇円、昭和五一年度以降は副参事として四万四〇〇〇円、昭和五七年度以降は参事として停年まで五万三〇〇〇円の職務手当を受けたであろうこと、(c)以上のほかに賞与として毎年度、年間合計当該年度の月額五ヶ月分が支給されることを認めることができる。そこで以上の得べかりし全収入について、生活費を五割と見て各年度ごとに損益相殺し、年五分の割合による中間利息を控除し、ホフマン式により昭和四三年三月三一日現在(死亡時を基準にすべきであるが、差は意とする程でないので、計算の便宜による)における現価計算をするとその合計額は末尾添付別表(一)のとおり、一九一四万円となる。なお、被控訴代理人は、逸失利益の現在額をライプニッツ方式によって算出すべきものであると主張するが、当裁判所は、右見解を採用せず、ホフマン式計算によるのが相当と考え、この方式を採用した。

(2) 逸失退職一時金

前記のとおり、三井銀行においては、満五五才をもって停年退職とする定めがある。

≪証拠省略≫を綜合すれば、亡敏夫は満五五歳の昭和六六年四月二三日で停年退職することになり、その勤務期間は満三一年一月となるところ、三井銀行の退職慰労金規程によればその退職当時の基本給(一審原告らはこれを昭和四五年度の賃金事情にもとづく計算によると主張し、それはすくなくとも別表(二)のとおり一四万六〇〇〇円となる。)に係数三三・〇一六六六を乗じた四八二万円(一万円未満切捨)が一時金基準額として、さらにこれに係数〇・五を乗じた二四一万円が特別加給され、なおこのほかに停年加給額が支給されるが、その額は、参事は最低で一六〇万円と定められていること、したがって、退職一時金は少くとも以上の合計の金八八三万円となることが認められる。これについて中間利息を控除した昭和四三年三月三一日現在の現価は別紙計算式①のとおり金四〇一万円となる。右のうち金四七万円は敏夫の死亡によってすでに支払があったので、差引現在額は三五四万円となる。

(3) 逸失退職慰労年金

≪証拠省略≫によれば、亡敏夫は昭和六六年四月二三日に三井銀行を停年退職し、規定による年金基準額(基本給の二・五倍、基本給は別表(二)のとおり金一四万六一〇〇円)三六万五〇〇〇円と、規定による年金特別加給額(右基準額の二五パーセント)九万一〇〇〇円合計四五万六〇〇〇円の年金を停年退職後一五年間にわたって支給される筈であったことが認められる。よってこの金額に対し、前同様五割の生活費を損益相殺し、その合計額の昭和四三年三月三一日現在における現価を算定すると、別紙計算式②のとおり金一三二万円以上となる。

(4) 三井銀行退職後の逸失給与

≪証拠省略≫によれば三井銀行の行員は、その停年後、大半が同銀行のあっせんする勤務先に再就職して、年に二〇〇万円足らずの収入をあげていることが認められる。よって亡敏夫も生存していたとすれば三井銀行を停年退職後六〇歳まで(それまでは十分に就労可能である)の五年間に少くとも停年当時の年収の半分である年間一七六万円(一万円未満切捨)の収入を得られるものと考えられる。(停年当時の収入については別表(一)中⑪の部分参照)。そこで右年収から生活費等として相当と考えられる収入の五割を控除した残額につき年五分の中間利息を控除し昭和四三年三月三一日の現価を計算すると、別紙計算式③のとおり金一九〇万円余となる。

(ハ)  慰藉料

以上認定の諸般の事情を綜合すると(ただし、ここでは事故当事者の前記各過失を考慮に入れない)、亡敏夫本人に対する慰藉料は金一五〇万円、一審原告両名に対するそれは各金一〇〇万円とするのが相当である。

(ニ)  一審原告各自が請求しうる損害額

一審原告らは亡敏夫の父母で他に相続人はないから、その同順位の相続人として同人の逸失利益(前記(ロ)の(1)ないし(4)に示された額の合計)二五九〇万円の賠償請求権を平等の割合で取得したことになり、その一人当りの金額は一二九五万円となる。ところで、前認定のとおり、本件事故における過失は加害者四割に対し、被害者六割とするのが相当であるから、損害額のうち加害者側の四割相当額について、一審被告斉藤は一審原告らに賠償する義務があるところ、後記弁護士費用を除く総損害額は、一審原告ら各自につき、前記認定にかかる亡敏夫の逸失利益の承継額一二九五万円、同人の慰藉料の承継額七五万円、一審原告らの固有の慰藉料一〇〇万円および葬儀費用一五万円、以上合計一四八五万円であるから、これを加害者の過失分四割に配分すれば、各五九四万円となる。これに対し、一審原告らは加害車を含めて関係車三輛より強制保険金一五〇万円宛合計四五〇万円を二分の一の割合をもって受取ったから(この事実は当事者間に争いがない)、この結果一審原告各自の損害額は差引三六九万円となる。

次に一審原告ら主張の弁護士費用について考えるのに、このうち一審における弁護士費用の点についての当裁判所の判断は、一審原告各自につき三〇万円とする原審の判断と同一であるから、原判決理由第三項の(五)の記載(原判決三一枚目表三行から三二枚目表二行まで)を引用する。当審における弁護士費用については、以上諸般の事情および≪証拠省略≫より考え、一審原告ら各自につき、一〇万円をもって相当と認める。

以上のとおりであるから結局一審原告ら各自の一審被告斉藤に対して請求しうる本件損害賠償請求金額は、前記の三六九万円に右弁護士費用を加算した四〇九万円である。

三、以上のとおり、一審原告らの一審被告会社に対する請求は理由がないので、これにつき、原判決を取消し、右請求を棄却すべきであり、一審原告らの一審被告斉藤に対する請求は、一審原告ら各自に対し金四〇九万円および弁護士費用を控除した金三六九万円に対する本件事故発生の日以後の昭和四三年四月一日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこの限度で認容し、その余は失当として棄却すべきであるから、右請求につき、原判決を以上の趣旨により変更し、かつ一審被告斉藤の控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について、同法第一九六条を各適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松永信和 裁判官 長利正己 小木曽競)

<以下省略>

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